[1991〜2002]
編集・三輪隆+志賀宏
さくらプロジェクトの黎明
1986年1月 三輪隆初訪タイ、これ以後タイ北部での活動がメインとなる。
1990年9月 三輪隆執筆・撮影による「地球の歩き方フロンティア タイ北部山岳民族を訪ねて」(ダイヤモンド社・現在絶版)発刊される。この一冊のガイドブックが芝浦工業大学の畑教授と三輪を結びつける機縁になる。
1990年11月 芝浦工業大学建築工学科の畑聰一教授、写真家の北田英治氏および学生数名がチェンライ県山地民の住居調査のため、初めてチェンライを訪れ、三輪を案内人としてアカ族メーモン村などの集落調査を実施。その際、三輪と畑教授のあいだでタイ山地民の子どもたちへの教育支援の可能性について話し合われる。このとき通訳として同行したアカ族のヨハン・チェムー氏はすでに、ある日本人の援助の提案を受けて、自宅に8名のアカ族の少女たちを下宿させてユナイテッド・ヴィレッジ・スクールに通わせていた。
1990年12月 三輪隆、畑聰一助教授(当時)が東京・芝浦で会談し、三輪隆を代表に、畑聰一助教授を日本事務局長としてタイ山地民の子どもたちへの教育支援NGO組織(生徒寮の建設と運営)を発足させることで同意。寮建設の資金は、同じ頃チェンライの三輪のもとを訪ねてきた、東京の中村清彌氏(株式会社日新工業社長)が提供を申し出る。中村氏は当時すでに在タイのミャンマー難民支援をはじめており、タイ北部に新たな支援の場を模索していた。
1991年1月 三輪、常宿だったチェンライ市内のゲストハウスからナムラット村の借家(月額2500バーツ)へ移住。
1991年3月1日 チェンライ県ムアン郡リムコック区ナムラット村403番地のユナイテッド・ヴィレッジ・スクールに隣接するヨハン・チェムー氏(アカ族)宅の敷地内で山岳民族の子ども達のための学生寮の建設工事が始まる。畑教授をはじめ、三輪隆、志賀宏、山崎久勇、芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生および岩崎学園の学生ら約20名も参加。当時ヨハン・チェムー氏はこのプロジェクトに賛同し、無償での土地提供を申し出た。
1991年3月 約1年かけての入寮生調査がスタート。三輪、ヨハン氏に加え、11月より日本人ボランティア小原靖弘が加わり、チェンライ県、チェンマイ県、パヤオ県、ナーン県、メーホンソン県など100以上の村で6民族1500名以上の生徒を調査する。
1991年度
8名の寮生でスタート、寮建設開始!
1991年度(タイ歴2534年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(コーディネーター)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
寮生8名
1991年4月 畑聰一、三輪隆、志賀宏、清水郁郎、ヨハン・チェムー氏ほか芝浦工大の学生らが寮建設中のナムラット村にて会議。この教育支援プロジェクトを「さくらプロジェクト」と命名、建設中の寮もその名前をとって「さくら寮」と名づけることに決定。
1991年5月 前年よりヨハン氏の敷地内の仮設宿舎に寄宿し、さくらプロジェクトとして援助することが決まっていた8名のアカ族の子どもたちが、第一期さくら寮生して生活をはじめる。
1991年6月1日 タイ山地民の子どもたちのための教育支援活動。タイ山地民の保健医療・福祉・厚生・人権のための援助活動。タイ山地民の文化・社会の調査・研究・保護活動。タイ山地民とタイ人、日本人の相互文化交流活動などを設立の目的にかかげ、さくらプロジェクトが正式に設立される。
1991年6月15日 さくらプロジェクトの活動を報告するさくら通信第1号が発行される。
同時に東京・芝浦工業大学において、さくらプロジェクトの活動内容報告、タイ山地民の現況など、畑と三輪の講演を中心とした「第1回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が初めて開催される。
1991年8月 再び芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生、岩崎学園の学生、そして杉野女子大学の学生ら約30名がボランティアとしてさくら寮建設工事に参加する。
1991年9月 チェンライ県メースアイ郡一帯で雨期の集中豪雨による大洪水が発生。特に被害の大きかったトンプラオ村には、さくらプロジェクトとして救援活動に参加。古着、生活用品などを配布する。
1991年10月22日 さくら通信第2号発行。同時に東京・芝浦工業大学にて「第2回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1992年2月 三輪と小原靖弘、ヨハン・チェムー氏の3名の選抜会議により、1992年度のさくら寮入寮生50名を決定。
1992年3月 さくら寮完成。総工費608409バーツ(約350万円)。
1992年度
さくら寮開寮、生徒は一気に58名に
1992年度(タイ歴2535年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
カニカー・カンプラスク(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
西村美紀(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生58名
1992年4月6日 さくら通信第3号発行。
1992年5月1日 さくらプロジェクトのスタッフが全員さくら寮に集合し、仕事始め。
1992年5月5日 さくら寮で芝浦工業大学の学生たちを寮生に見立て、1週間ほどの寮生活モニタリング実施。
1992年5月11日 さくらプロジェクト・タイ・スタッフによる初めてのミーティングが開かれる。一部の寮生が入寮開始。
1992年5月12日 さくら寮入寮日。この日より瀬川正仁氏によるテレビ東京のドキュメンタリー番組製作のための取材が始まる。
1992年5月15日 1992年度ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール入学式。
1992年5月16日 午前9時半より、さくら寮の開寮式。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール理事長、校長、ナムラット村村長、そして寮建設資金提供者の中村清彌氏、リス生徒寮の中野穂積氏らを招いてさくら寮前でおこなわれる。幼稚園児から高校生まで58人がさくら寮のメンバーとなる。
1992年5月18日 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール新学期授業開始。
1992年6月11日 テレビ東京系列にてさくら寮の開寮までを追った番組「さくら寮INタイ」(ディレクター・瀬川正仁氏、スポンサー・東京都)が放映される。
1992年6月19日 さくら通信第4号発行。東京・芝浦工業大学にて「第3回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年7月 さくら寮の二つ目の寄宿施設をユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの敷地内に建設する許可が学校からえられ、第2さくら寮(すみれ寮と命名)建設計画がスタートする。
1992年10月9日 東京で「里親の会」開催。
1992年10月30日 さくら通信第5号発行。東京・芝浦工業大学にて「第4回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年11月 すみれ寮設計のため芝浦工業大学建築工学科大学院生木村剛士が来タイし、木村を中心に同大学大学院卒業生の清水郁郎、現地カレン族の建築士の3人によってすみれ寮の設計図が完成。
1992年12月 有償ボランティアとして里親である高沢安喜が東京事務局の事務の仕事を受け持つ。
1992年12月 2日 入札によりすみれ寮建設の施工業者を決定。
1992年12月3日 すみれ寮建設工事に関する契約を施工業者と交わし、東京西北ロータリークラブの資金援助によるすみれ寮建設工事が始まる。
1992年12月20日 日本人中野穂積さんが運営するチェンライ県メースアイ郡の山地民学生寮「リス生徒寮」とのスポーツ交流大会をチェンライ県メースアイ郡のリス生徒寮で開催。
1993年1月15日 1993年度入寮生募集を山岳民族語ラジオ放送「914」を使った入寮募集告知、各村への入寮生募集のポスター配布、スタッフによる各村へのさくらプロジェクトの広報、入寮者募集活動が始まる。最終的には200名近くの応募が集まる。
1993年3月6日 さくら寮で初めての入寮生選抜試験実施。35名の合格枠をめぐり、書類選考で選ばれた110名の子どもたちが受験。
1993年3月12日 1992年度学年末試験が終わり、寮生たちが村へと帰る。
1993年3月 一年間さくら寮のボランティア寮母として奮闘した西村美紀、帰国。
1993年度
すみれ寮開寮
1993年度(タイ歴2536年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生86名
1993年4月1日 さくら通信第6号発行。
1993年4月 すみれ寮完成。総工費約1300000バーツ。
1993年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付を申請する。
1993年5月18日 夕方より学校関係者、地元住民を招き、すみれ寮開寮セレモニーがおこなわれる。さくら寮は男子寮、すみれ寮は女子寮として使用することになる。
1993年5月21日 1993年度新学期始まる。
1993年6月21日 郵政省より「山岳民族の子どものための寄宿舎建設、運営」にたいしての国際ボランティア貯金寄付金の交付先に選ばれ、郵政省(当時)でおこなわれた通知式で郵政大臣による配分決定通知書を交付される。配分金総額7695000円。(うち、ひまわり寮建設工事費675万円、寄宿舎備品購入費945000円)
1993年7月1日 さくら通信第7号発行。
1993年7月3日 「第5回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」および第2回里親会が芝浦工業大学で開催される。
1993年10月6日 国際ボランティア貯金の交付対象団体に選ばれたさくらプロジェクトの活動内容とタイ山地民の生活を写した写真数点が東京高輪郵便局で展示される。(11月1日まで)
1993年10月 30日 さくら通信第8号発行。東京にて三輪とさくらプロジェクト日本事務局スタッフによる第3の寄宿舎(ひまわり寮)建設についての話し合いがもたれる。設計は芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳、鈴木宏幸が担当。芝浦工業大学にて「第6回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1993年12月 芝浦工業大学建築工学科大学院生の鈴木宏幸設計の基本設計案を携え来タイ。その案をもとに実施設計はタイ人設計士が作成する。
1994年1月 鈴木宏幸が帰国し、入れ替わりで芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳が訪タイ。ひまわり寮建設業者の選定に着手する。
1994年2月1日 三輪隆、プラパン・タサニヤコーン氏(ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール理事長)、建築工事実施業者の3者でひまわり寮建設工事に関する契約書に調印。
1994年2月2日 ひまわり寮建設工事始まる。
1994年2月 三輪がチェンライ県にあるラフ族の村ジャトーブー村を訪問した際、村人たちからタイ社会福祉局に要請し、予算不足や人手不足により支援を見送られられたジャトーブー村小学校への教員派遣プロジェクトに関し、さくらプロジェクトに対して支援の要請をもちかけられる。
1994年2月24日 チェンライ県にあるアカ族の村メーモン村で村の家屋、家畜のほとんどが焼失する大火災が発生。同日、さくらプロジェクトから小原靖弘が現地を視察。米、古着などの配給支援の準備を開始。
1994年2月25日 三輪およびさくらプロジェクト・タイ スタッフのジュリラット・パンブー、芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳、さくら寮の寮生2人がメーモン村への救援物資を届けるため車をチャーターし、米約1.5トンを積みメーモン村に向かい、山地民福祉局を通じて、村人たちに配布、支給する。
1994年3月7日 三輪、ジュリラット・パンブー、小原靖弘の3名がジャトーブー村に出向き、ジャトーブー村地域の管轄であるルアミット村小学校校長と小学校設置問題について懇談。
1994年3月10日 チェンライ県メーチャン郡にある山地民福祉局の担当官をジャトーブー村に招き、さくらプロジェクト、村人の三者による会合をもつ。
1994年3月18日 さくらプロジェクトによるジャトーブー村調査と村人たちとの会合を実施し、学校の建設は村人がおこない、さくらプロジェクトから教員を派遣することを決定する。
1994年3月20日 さくらプロジェクトが20000バーツの資金援助をし、木材、竹、茅などを用い、村人たちによってジャトーブー村小学校建設が始まる。
1994年3月25日 郵政省貯金局・国際ボランティア貯金推進室の小林良和氏がひまわり寮建設現場を視察
1994年3月31日 ジャトーブー村小学校完成。
1994年3月 今月をもってヨハン・チェムー氏がさくらプロジェクトを辞任。新寮長にアミ・チェゴンが就任する。安達英信、2年間のボランティア生活を終えて帰国。
1994年度
ひまわり寮開寮、ジャトーブー村小学校支援開始
1994年度(タイ歴2537年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナド・ヤパー(寮母)
センサク・アイ(ジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
中野学(ボランティア)
さくら寮生97名
1994年4月1日 さくら通信第9号発行。
1994年4月20日 アカ族のセンサック・アイを常勤の教員、さくらプロジェクト・タイのスタッフでもあるラフ族のジュリラット・パンブーを非常勤の教員兼小学校の責任者とし、ジャトーブー村小学校に派遣することを決定する。
1994年4月 ひまわり寮完成。総工費約1500000バーツ(675万円)。
1994年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付2件を申請。
1994年5月 さくらプロジェクト元スタッフのヨハン・チェムー氏にさくら寮の施設が譲渡される。ヨハン氏はさくらプロジェクトを離れ、独自に寮運営をすることになる。初代さくら寮の施設はのちに「若竹寮」と改名される。
1994年5月 ひまわり寮がオープンし、旧さくら寮の男子生徒がすべてひまわり寮に移る。新年度の寮生は97名に。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール、新学期始まる。
1994年5月10日 チェンライ県社会福祉局とチェンライ県メーチャン郡にある山地民福祉局からジャトーブー村小学校がルアミット村小学校分教室としての認可を受ける。
1994年5月18日 ジャトーブー村小学校分室開校予定日だったが、本校を村から約6キロ離れたルアミット村小学校にするか約10キロ離れたホイサイカオ村小学校にするかという学校の所属問題のために、開校が延期となる。
1994年6月15日 チェンライ初等教育事務所により、ジャトーブー村小学校を、ホイサイカオ小学校ジャトーブー村分教室として設置することがさくらプロジェクトに対して認可される。しかし、その後、話は二転三転し、最終的にジャトーブー村小学校はルアミット村小学校分教室とすることに決定。
1994年6月20日 ジャトーブー村小学校開校。生徒数は46名。
1994年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分2件のうち、チェンライ県ジャトーブー村における小学校の建設及び運営に関する1件の申請が認められ、運営資金が郵政省より配分される。配分金総額740000円(うち、教育費274000円、教員人件費493000円)
1994年7月1日 さくら通信第10号発行。東京・芝浦工業大学にて「第7回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年7月9日 里親の谷正直氏が経営する奈良市内のペンション「奈良倶楽部」にて関西在住の支援者を対象に三輪隆の講演会とさくらプロジェクトの報告会。
1994年11月 寮生全員でドイトゥン、メーサイ、ゴールデントライアングルへの遠足に出かける。
1995年1月 阪神大震災発生。
1995年2月 三輪、テレビ朝日「ネイチャリング・スペシャル」のタイ・ロケのコーディネーターとしてチェンライ県のホイサン村、ナーン県などに同行。リス族、ムラブリ族の集落で通訳を行なう。
1995年3月 さくらプロジェクトとして初めて中学生12名と高校生1名の卒業生を送り出す。
1995年3月18日 1995年度入寮選抜試験が行われる。
1995年3月22日 開校が遅れたため通常より約3週間遅れてジャトーブー村小学校で1994年度学年末試験がおこなわれる。
1995年3月 中野学、1年間の体験ボランティア生活を終えて帰国。
1995年度
郵政省視察団来訪
1995年度(タイ歴2538年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナヘ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
シティチャイ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(寮母ただし年度途中よりジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生99名
1995年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1995年5月 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール、1995年度新学期始まる。
1995年5月31日 ジャトーブー村小学校で保護者を交えてのミーティングが開かれ、火曜日、木曜日は民族衣装で登校させ、さくらプロジェクトは衣装制作費用として児童1人につき250バーツを援助することに決定。同時に村人たちの要請に従い、子どもたちの昼食代の援助、小学校の給食室建設を決定する。
1995年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請が認められ、ジャトーブー村小学校運営費として資金が配分される。配分金総額71500円(うち、教育費123000円、給食費100000円、教員人件費372000円)
1995年6月24日 さくら通信第11号発行。東京・芝浦工業大学において「第8回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1995年6月30日 滋賀県大津市の田上中学校で三輪がさくらプロジェクトの紹介をテーマにした講演会を開催。
1995年7月1日 滋賀県大津市の西光寺で、関西の里親、支援者を対象とした三輪の報告会、講演会が開催される。
1995年8月 ジャトーブー村小学校台所建設開始。
1995年8月6日 チェンライ県メーチャン郡にある山地民福祉局の研修所で山地民の女性たちによって縫製された学生服をさくらプロジェクトで買い取り、ジャトーブー村小学校の生徒に配布。
1995年8月24日 ジャトーブー村小学校給食室完成。
1995年9月1日 ジャトーブー村小学校では子どもたちへの昼の給食支援開始。
1995年11月12日〜13日 郵政省貯金局、NGO活動推進センター、そして預金者を代表する自治体首長からなる郵政省ボランティア貯金援助プロジェクト視察団がチェンライのさくらプロジェクトを訪問。チェンライにあるひまわり寮、すみれ寮およびジャトーブー村小学校などを視察。
1995年11月26日 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグランドで周辺の6つの山地民学生寮対抗球技大会が開かれ、圧倒的な強さを誇るさくらプロジェクトの女子生徒たちはほとんどの種目で優勝。
1995年12月3日 さくらプロジェクト生徒寮とリス生徒寮との親善スポーツ大会がユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグラウンドでおこなわれる。
1995年12月 三輪がチェンライ県ムアン郡ホイチョンプー地区にあるラフ族の村パラン村に古着を配るため訪れた際、村から約6キロ離れたホイメリアム村小中学校に寄宿して勉強している子どもたちの支援を住民から要請される。後日チェンライで村人とさくらプロジェクト・タイのスタッフとの会合がもたれ、1996年度より援助を開始することを決定。
1996年 1月 チェンマイ県メーアイ郡にあるラフ族のドイレム村への水道敷設計画がまとまる。
1996年2月1日 さくら通信第12号発行。
1996年3月 さくらプロジェクト中学3年卒寮生20名を率いてバンコク、サメット島へ卒寮旅行。バンコク在住の里親、白子富三郎さんも同行。(白子さんは1997年8月、バンコクにて逝去される)
1996年度
ホイメリアム小学校支援開始、ドイレム村に水道設備
1996年度(タイ歴2539年)さくらプロジェクト・タイ・スタッフ
アミ・チェゴン(寮長 ただし5月をもって退職)
ジュリラット・パンブー(アミの退職後、5月より寮長を引き継ぐ)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
アロン・ゲイサン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)
ヨーン・プラブン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生93名
1996年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金3件を申請。
1996年5月 東京西北ロータリークラブから施設建設資金が寄付され、山地民の文化を記録、紹介し、同時に交流を目的とする施設「文化交流会館」を建設することに決定。
1996年5月 チェンライ県ムアン郡ホイチョンプー地区ホイメリアム村小中学校に隣接するラフ族寮(パラン寮)に朝、夕食費、生活用品援助を始める
1996年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分3件の配分が決定する。配分金総額1500000円。内訳は1.ジャトーブー村小学校運営費(校舎修繕費53000円、教員宿舎修繕費38000円、教育費219000円、教員人件費453000円)2.ドイレム村簡易水道建設プロジェクト(306000円)、3.ホイメリアム村小中学校生徒寮への支援プロジェクト(給食費183000円、教材費64000円、医療費8000円、寄宿舎維持費13000円)
1996年6月28日 さくら通信第13号発行。東京・芝浦工業大学にて「第9回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1996年8月 ナムラット村に交流会館建設のための土地を800000バーツで購入する。約900平方メートル。芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成が交流会館設計のため来タイ、三輪と初の打ち合わせ。
1996年10月5日 チェンマイ県メーアイ郡ドイレム村村長宅にて水道敷設工事に関する会議を開く。さくらプロジェクト・タイ側から三輪、および学期休み中の寮生2人、ドイレム村側から村長および村の役人10人が出席。当初は12月からの着工を予定していたが、村人の強い要請の結果、翌日から資材を購入し始め、準備が出来次第工事に取りかかることに決定。
1996年10月9日 ドイレム村水道工事に関する資材調達が完了。村長宅で翌日からの工事に関する会議が開かれる。さくらプロジェクト側からは寮生カンポン・セイチャオ、タニン・ムンチャカーの2名が出席。
1996年10月10日 三輪もドイレム村の駆け付け、村人80人がかりで水道工事が開始される。
1996年10月14日 ドイレム村水道工事貯水タンク完成。
1996年10月14日 深夜、さくらプロジェクト・タイの寮長であるジュリラット・パンブーが三輪とともに12日間の予定で日本研修旅行に向かう。東京、大阪、奈良、岐阜などに滞在。
1996年10月15日 三輪、ジュリラット・パンブー、早朝日本到着。
1996年10月19日 来日中のジュリラット・パンブーを囲んで、大阪で「里親の会」開催。
1996年10月20日 ドイレム村へさくらプロジェクトの寮生が水道工事視察。村内3ヶ所で水の使用が可能になっていたものの、村民からさらに1ヶ所水道増設の要請があり、村長宅で会議を開いた結果、さくらプロジェクトが資金を出して増設工事をすることが決定する。
1996年10月21日 里親の谷正直さん経営のペンション「奈良倶楽部」にて、関西在住の里親が中心になり、ジュリラット・パンブーの歓迎会およびさくらプロジェクトの報告会。
1996年10月26日 さくら通信第14号発行。さくらプロジェクト・タイのジュリラット・パンブーの訪日に合わせて東京・芝浦工業大学にて「第10回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。三輪と芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成、交流会館基本計画案について打ち合わせ。
1996年10月27日 三輪、ジュリラット・パンブー、日本研修を終えてタイへ戻る。
1996年10月29日 三輪がドイレム村を視察。一部の要修繕箇所を除き水道工事はほぼ完成。
1996年12月 交流会館設計の詳細打ち合わせのため芝浦工業大学建築工学科大学院生の米塚正樹が来タイ。
1996年12月20日 さくらプロジェクト・タイ スタッフがホイメリアム村小中学校およびパラン村を訪れ、子供たちにクリスマス・プレゼント、古着、文房具などを配布。また教員や村人から援助事業に関する意見や感想を聞く。
1997年1月 芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成、交流会館設計の最終打ち合わせのため訪タイ。
1997年1月11日 ドイレム村水道工事完成セレモニーがおこなわれる。これ以後水道にかんするメンテナンスは村民の自主管理となり、ドイレム村水道援助プロジェクトは完了する。
1997年2月 テレビ東京の撮影スタッフが、さくらプロジェクトの寮を題材にしたドキュメンタリー番組を制作するために約2週間にわたってさくら寮を取材する。
1997年2月 交流会館建設請負業者選定に入る。
1997年2月 24日、25日 パラン村にて1997年度ホイメリアム村寄宿舎運営計画に関する会議が開かれる。生徒数増加に伴う新寄宿舎の建設を要請される。
1997年3月 交流会館建築工事業者決定し、契約調印。建築工事が始まる。
1997年度
タイは経済危機、しかしテレビ放映により新里親は大幅増!
1997年度(タイ歴2540年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジュリラット・パンブー(寮長)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ガイ・(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
三輪隆(ボランティア)
さくら寮生104名
1997年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1997年4月5日 パラン村に周辺のラフ族の村人も集まり、ホイメリアム村寄宿舎へのパラン村以外の子どもたちの入寮をめぐる会議が開かれる。ホイメリアム村小中学校校長より各村の父兄が協力して建設することを条件に、寄宿舎増設の了承を得る。
1997年4月 22日〜26日 ホイメリアム村小中学校内で新しい寄宿舎の建設開始。パラン村、ティセ村、ジャハ村、ハジャオ村、ゲルアン村の父兄たちが集まり、竹と茅を用いて男女別棟の寄宿舎が完成。同時に炊事小屋、食堂も改築される。
1997年4月23日 テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」でさくら寮を取材したドキュメント番組が放送される。翌日から日本事務局への里親申し込み、問い合わせ電話が殺到する。
1997年5月 畑聰一教授来タイ、交流会館建設現場を視察。
1997年6月 ジャトーブー村小学校運営資金、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営資金として郵政省国際ボランティア貯金寄付金が配分される。配分総額は2020000円。内訳は1、ルアミット村小学校ジャトーブー村分教室への支援(教員寄宿舎増築費87000円、教育費205000円、給食費209000円、教育人件費509000円)2、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営費の支援(給食費354000円、教材費99000円、生活用品費、医療費9000円、寮母意人件費48000円、寄宿舎増築費436000円)。なお、郵政省ボランティア貯金の配分金申請は今年度限りで休止することになる。
1997年6月28日 さくら通信第15号発行。東京・芝浦工業大学にて「第11回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1997年7月 さくらプロジェクト・タイ事務局、事務作業にはじめてパソコン導入。
1997年8月 2日間の日程でナムラット村にある山地民寮対抗球技大会が開かれる。さくらプロジェクトは惜しくも総合優勝を逃す。
1997年8月 里親の三枝紀雄様・令子様ご夫妻来寮。ご厚意により、寮生全員、チェンマイへの遠足が実現する。
1997年10月 JICA(国際協力事業団)の農業研修旅行団がさくらプロジェクト・タイの寮を訪問し、寮生たちとの交流会が開かれる。
1997年11月 〜22日 郵政省ボランティア貯金の預金代表者によるさくらプロジェクト・タイへの視察がおこなわれる。さくら寮をはじめ、郵政省ボランティア貯金の配分金で運営されているジャトーブー村小学校、ホイメリアム村小中学校パラン寮を視察する。
1997年12月 歌手の五木ひろしさんがチャリティーコンサートの売り上げの1部約500万円をさくらプロジェクトに寄付。贈呈式の模様が12月30日にテレビ東京にて放送される。
1998年2月 ナムラット村にタイ山岳民族文化交流会館完成。総工費約1730000バーツ。
1998年2月18日 タイ山岳民族文化交流開館の落成式開催。東京西北ロータリークラブの方々、チェンライ山地民族開発援助センターの職員、ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール校長、ホイメリアム村小中学校校長、さくらプロジェクトが支援しているジャトーブー村小学校およびホイメリアム村寮の子どもたち父兄をまねき、ラフ族の伝統儀式や踊りをまじえての記念式典がおこなわれる。
1998年3月 さくら寮1998年度の入寮試験実施。開寮以来最高の160名の応募者があり、ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの教室を借りておこなわれる。
1998年度
文化交流会館完成、ナコーイさん結婚
1998年度(タイ歴2541年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジュリラット(ナコーイ)・バンブー(寮長ただし年度途中にて退職)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母 ジュリラット退職後、寮長に)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
インチャン(ジャトーブー村小学校教員ただし途中退職)
ナミチャ(寮母ただし途中退職)
ペッド・トラウォン(寮母 ただし年度途中より)
三輪隆(コーディネーター)
さくら寮生132名
1998年4月 さくらプロジェクト・タイの公式ホームページが開設される。
1998年5月 1998年度新学期が始まる。
1998年6月27日 さくら通信第16号発行。東京・芝浦工業大学にて「第12回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1998年8月 恒例の寮対抗スポーツ大会が2日間の日程で開催され、さくらプロジェクトの女子は2年ぶりに総合優勝に輝く。
1998年8月 1997年末、歌手の五木ひろしさんから贈呈された寄付金と里親の三枝令子さんからの寄付をもとに、交流会館のとなりに新寄宿舎建設に着手。基本設計図面は前回の交流会館同様、芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成と三輪が共同でおこなう。
1998年9月 静岡県の清水中央ロータリークラブよりジャトーブー村小学校新校舎建設資金として180000バーツの寄付を受ける。
1998年10月20日 さくら通信第17号発行。
1998年12月 6年間さくらプロジェクト・タイの中心スタッフとして寮運営を引っ張ってきたジュリラット・パンブーが里親の浪岡雄二さんとの結婚を機に退職。
1998年12月 ジャトーブー村小学校新校舎の建設着工。
1999年1月 ジャトーブー村小学校新校舎完成。総工費200000バーツ。
1999年2月13日 〜17日 第1回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施され、12組17名の里親の方々が夕刻チェンライ空港に到着する。
1999年2月14日 里親ツアー一行、すみれ寮、ひまわり寮を見学し、夜は寮生による歓迎会が開かれる。
1999年2月15日 ジャトーブー村にて、ジャトーブー村小学校新校舎竣工式典開催。主催はルアミット村小学校。学校関係者、ジャトーブー村住民のほか、校舎を寄贈した清水中央ロータリークラブのメンバー15名、第1回「さくら寮をたずねる会」でチェンライを訪問中の里親の方々17名が参加。
1999年2月17日 第1回「さくら寮をたずねる会」ツアーが終了し、里親の方々は帰国の途に。
1999年3月 寮生・マリサー・チャクソンダムロンがチェンマイ大学社会学部に合格。
1999年度
しらゆり寮完成! 山岳民族資料館開館
1999年度(タイ歴2542年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジョイ・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
サティアン・パーンカワン(運転手ただし途中退職)
ソムケート・トラウォン(運転手)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
三輪隆(コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生148名
1999年5月 交流会館裏手に建設していた新寄宿舎(後にしらゆり寮と命名)が完成。新学期開始とともに高校生以上の寮生および新入寮生合計40名が新寮に入寮。総工費210000バーツ(約7000000円)。
1999年5月 元さくらプロジェクトのボランティア、小原靖弘氏が体調を崩し、日本に帰国。
1999年6月5日 しらゆり寮完成式典開催。建設資金の一部を寄付してくださった里親の三枝紀雄・令子ご夫妻、ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール校長、チェンライ社会福祉局の局長、日本大使館チェンマイ駐在官事務所の白鳥氏らを招いておこなわれる。
1999年6月26日 さくら通信第18号発行。東京・芝浦工業大学にて「第13回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。1992年より7年間日本事務局を支えてきた高澤安喜にかわり、青井順子が日本事務局の事務作業を引き継ぐ。
1999年8月 14日、15日 毎年恒例の山地民寮対抗スポーツ大会が開催される。例年より多い9チームが参加しておこなわれ、さくらプロジェクトチームが男女ともに圧倒的な強さで総合優勝に輝く。
1999年11月3日 11月3日から11月8日までの予定で第2回「さくら寮をたずねる会」ツアーが実施され、4名の里親の方々がチェンライに到着。
1999年11月26日 さくら通信第19号発行。
2000年2月9日 寮生のナハ・ジャプーさん(ラフ族)が目眩、たちくらみ、鼻血などの出血が止まらないなどの症状をうったえ、チェンライ公立病院に入院。突発性血小板減少性紫斑病と診断される(後に誤診と判明)。
2000年2月13日 東京西北ロータリークラブの支援により交流会館3階に完成した「山岳民族文化資料展示室」が開館。東京西北ロータリクラブの方々を招いてテープカットがおこなわれる。
2000年2月24日 清水中央ロータリークラブによるさくらプロジェクトの寮生たちのためのスクールバス(トヨタ・ハイエース)の寄贈式がさくら寮にておこなわれる。引き続き交流会館中庭にて清水中央ロータリークラブにより、合歓の木の記念植樹がおこなわれる。
2000年3月 寮生のオラピン・ペッパチャラークンがチェンマイ大学医学部看護学科に合格、ウィチャイ・セイヤーンがバンコクのタマサート大学工学部に合格。
2000年3月17日 寮生のブンタム・モンコンロートクン君(アカ族)が学期休みで実家に帰省中、村の近くの池で深みにはまり、溺死する。
2000年3月21日 ブンタム君の葬儀がパッカー村の自宅でおこなわれる。さくらプロジェクト側からスタッフ全員と寮生25名が参列する。
2000年3月31日 三輪の引率で寮生代表6名(カンポン・セイチャオ、タニン・ムンチャカー、ウィタヤー・スックカセムサクン、マリサー・チャイクソンダムロン、オンチラー・セイリー、ティカンポン・ウティブンチャイ)が日本研修旅行に出発。清水中央ロータリークラブおよび里親有志のバックアップを得て、東京周辺および静岡県清水市および関東周辺にホームステイして、文化交流と研修をする。
2000年度
寮生初来日、ナハ基金設立
2000年度(タイ歴2543年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジョイ・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
ミボ・ベチュグ(寮母)
シラ・ジャガ(運転手)
三輪隆(コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
堀川守正(ボランティア)
さくら寮生141名
2000年4月1日 早朝さくら寮生日本研修生一行が成田到着。
2000年4月 ナハさんは突発性血小板減少性紫斑病と診断され、脾臓摘出手術を受けてチェンライ公立病院に入院していたが、症状が改善せず、再度骨髄検査をうけた結果、再生不良性貧血であることが判明。治療法として骨髄移植にもっとも大きな希望があることを医師から告げられる。
2000年4月22日 東京・芝浦工業大学で「第14回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。訪日中のさくらプロジェクト寮生6名の送別会も開かれる。里親有志の会の提案により、「ナハちゃん救済基金」の募金活動が開始される。
2000年4月23日 日本研修旅行を終えたさくらプロジェクト寮生たち、早朝の便で日本を後にして、タイに帰国。
2000年4月27日 ナハさんをチェンマイのチェンマイ・マハラート・ナコン病院に転院させる。
2000年5月31日 ナハさん、脳内出血をおこし、容態が急変する。
2000年6月6日 ナハさん、医師より脳死状態と宣告される。
2000年6月8日 ナハさんの母親の希望により、ナハさんを彼女の村の家で息を引き取らせることに決まる。
2000年6月9日 午後2時ナハさんを乗せてチャーターしたランナー病院のワゴン車で約3時間かけチェンライ県メースアイ郡ホイヤーサイ村へ向かう。午後5時前に到着し、酸素吸入器がはずされ、ナハさんは母親や三輪、ジョイらに見守られながら、午後5時7分、永眠。
2000年6月11日 さくらプロジェクト側からスタッフ全員、寮生多数が参列し、ナハさんの葬儀がラフ族の伝統宗教の様式にのっとり、おこなわれる。
2000年7月11日 さくら通信第20号発行。闘病していたナハさんのために、100人を超える支援者から約300万円の寄付金が集まり、これを今後寮生が事故に遭ったときや難病にかかったときの医療費として「ナハ基金」として役立てていくことを報告。
2000年9月10日 ラフ族の寮生ナヨー・ジャルーが膿瘍摘出手術を受け、ナハさん治療のために集まった寄付金「ナハ基金」の初の適用者となる。手術は成功し、その後ナヨは回復。
2000年12月5日 さくら通信第21号発行。
2001年1月26日 テレビ大阪の番組「ボランティア21」でさくらプロジェクトが取り上げられ、放送される。畑聰一教授がスタジオ出演。
2001年2月17日 〜23日 第3回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施される。9名の里親の方々が参加。
2001年3月 チェンライ県ムアン郡ドイハーン地区ホンオー村小学校校長よりさくらプロジェクトに対し、「学校敷地内にある長年使われていない教員宿舎を山地民の子どもたちの寮に利用したらどうか」との提案があり、視察する。2001年度より寮生を受け入れ、さくらプロジェクト側が子供たちの食費(米は保護者が負担)と教育費を支援することで合意する。
2001年3月 チェンライ教育大学に寮生ナロンチャイ・モンコンロートクン、ラダワン・セイハーンの2名が合格。
2001年度
さくらプロジェクト発足10周年!
2001年度(タイ歴2544年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
ミボ・ベチュグ(寮母)
シラ・ジャガ(運転手)
カンポン・チャオワタナーサクン(スタッフ)
三輪隆(代表・コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生148名
2001年4月6日 昨年に引き続き清水中央ロータリークラブのバックアップにより4月6日から4月22日までの日程で寮生5名(チュチャート・セイリー、ウィラット・ウィセットガムワシン、マンセン・セイチャオ、ラダワン・セイハーン、ヨニ・ヤプー)およびスタッフのジョイ・ロンチャイカムの計6名が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京周辺、静岡県清水市、奈良、大阪に滞在。
2001年4月21日 東京・芝浦工業大学で「第15回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催され、訪日中のさくら寮生たちも出席。終了後、子どもたちの送別会が開かれる。
2001年4月22日 早朝の便で日本研修を終えた子どもたちとジョイ、三輪がタイへ戻る。
2001年5月 3年半で大学を卒業し、寮生大学卒業第1号となったヤオ族のカンポン・チャオワタナーサクンがさくらプロジェクト・タイのスタッフとなる。
2001年5月1日 さくらプロジェクトのスタッフおよび年長の寮生約30名がホンオー村小学校にて、老朽化した宿舎の修繕作業を開始。
2001年5月13日 ホンオー村小学校寮の修繕作業終了。
2001年5月15日 ホンオー村小学校寮に23名の子どもたちが入寮。
2001年5月17日 2001年度サハサートスクサー・スクール新学期開始。
2001年6月28日 さくら通信第22号発行。東京・田町で三輪、里親有志のかたがた、畑先生が会談。今後の日本事務局のありかたについて話し合う。
2001年8月25日 二日間にわたり寮内球技大会開催。
2001年10月21日 バンコク・シリキット王女会議センターでおこなわれている国際ボランティア年祭でタイのチュアイ・ブンロン副首相より三輪が「優秀ボランティア賞」の表彰を受ける。
2001年10月23日 寮生チュチャート・セイリー(ヤオ族)がダムロン高校の最優秀生徒に選出され、新聞にも紹介される。寮生のアンカーン・レチュー(アカ族)もサマーキー中学の優秀生徒として表彰される。
2001年11月 里親の小暮克彦様の寄付により、寮内に子どもたち用の図書室が完成。
2001年11月13日 本日よりルアミット村寄宿舎建設工事が始まる。建設資金は里親の阿部周彦氏の寄付による。
2002年1月25日 さくら通信第23号発行。
2002年3月 寮生のチュチャート・セイリー(ダムロン高校)がチェンマイ大学に合格。
2002年3月30日 日本事務局が芝浦工大畑研究室より出て、新事務局に引き継がれることになったため、旧事務局スタッフと新スタッフが引継ぎ事務。新事務局スタッフは、石田公也・恵子、岡山豊・陽子、風間茂・玉美、金子泰輔、近藤鈴男・聡美、菅原範子、久富淳司・静江。畑聰一教授にはアドバイザーとして後方から支援していただくことになった。
2002年度
日本事務局が新スタッフで始動。ルアミット寮開寮!
2002年度(タイ歴2545年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ニラッチャラー(ナセ)・エブ(寮母)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手)
カンポン・チャオワタナーサクン(ルアミット村寮寮長、ジャトーブー村小学校教員)
ナミシ・ブレ(ルアミット村寮寮母)
三輪隆(代表・コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生141名
2002年4月1日 日本事務局が芝浦工業大学畑研究室から移転し、事務局長には畑聡一教授にかわって風間茂が就任し、日本事務局スタッフは青井順子から風間玉美、岡山豊、岡山陽子、久富淳司、久富静江、近藤鈴男、近藤聡美、金子泰介に受け継がれる。
2002年5月13日 さくら寮新学期スタート。ルアミット村寮、26名の寮生を受け入れて開寮。カンポン・チャオワタナーサクンが初代寮長として就任。
2002年6月29日 さくら通信第24号発行。東京・芝浦工業大学にて「第16回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。